映画館では今も新作映画が公開されている。 一体、誰が映画を見張るのか?誰が映画をウォッチするのか? "映画ウォッチ超人"シネマンディアス宇多丸が、今立ち上がる── その名も、「週刊映画時評ムービーウォッチメン」! 」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。 過去の宇多丸映画評書き起こしは こちらから! TBSラジオ 『アフター6ジャンクション』 は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。 チャンネル登録はこちらから 特集コーナー他 【再生リスト】 宇多丸 映画批評2015 2015.10.03『キング. スポンサーリンク. (宇多丸)そうなですよ! ということで、行っちゃおう! 私が週刊映画時評ムービーウォッチメンで評論した映画全44本のうち、栄えある1位は一体何なのか? 私の現在の暫定的なベストございます。発表いたします! 第3位、『バーニング 劇場版』! 宇多丸さんと映画『『スパイダーマン:スパイダーバース』について話していました。っしゃ!きたー!スパイダーバース長編アニメーション映画賞受賞おめでとう#Oscars pic.t. 2008年に製作され、全米では2009年 3月6日に、日本では3月28日に松竹・東急系で公開された。 日本では映倫によってR-15指定を受けてい … スポンサーリンク. お問い合わせ . 3位と4位の順位が違うだけ!?ライムスター宇多丸のムービーウォッチメン2015年ベスト10をガチで当てに行った結 宇多丸 映画『ヴィジット』 の感想(M・ナイト・シャマラン監督最新作) - … (宇多丸)そうなですよ! ということで、行っちゃおう! 私が週刊映画時評ムービーウォッチメンで評論した映画全44本のうち、栄えある1位は一体何なのか? 私の現在の暫定的なベストございます。発表いたします! 第3位、『バーニング 劇場版』! 194 KB. 宇多丸さんと映画『『スパイダーマン:スパイダーバース』について話していました。っしゃ!きたー!スパイダーバース長編アニメーション映画賞受賞おめでとう#Oscars pic.t. ジャパニーズヒップホップ黎明期の1990年代前半から活躍するヒップホップグループ・rhymesterのmc、マイクロフォンno.1。 本名、佐々木 士郎(ささき しろう)。かつてはmc shiro、歌丸名義で活動をしていた。 miyearnZZ Labo. TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。, 今週評論した映画は、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019年12月20日公開)。, さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。(BGMを聞いて)これ、今回の『スカイウォーカーの夜明け』の「♪ドジャーン」ですか? ああ、そうですか。高橋ヨシキさんの(特集)「スターウォーズひとり総選挙」にちなみましてね……なんて、こんなことをやってると時間が伸びてしょうがない。, 2015年の『フォースの覚醒』、2017年の『最後のジェダイ』に続く新三部作(シークエル・Sequel)の三作目にして、1977年の第一作『新たなる希望』から始まった物語の完結編、ということになっております。反乱軍とファースト・オーダーの戦いの黒幕がついに明らかになる。主な出演は、過去二作に続きデイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、アダム・ドライバー、オスカー・アイザック。, また、ランド・カルリジアン役のビリー・ディー・ウィリアムズや、2016年に亡くなってしまったレイア役のキャリー・フィッシャーが『フォースの覚醒』未使用映像を用いて出演するなど、旧シリーズのキャストも集結しております。監督は『フォースの覚醒』のJ・J・エイブラムスが再登板となりました。本当はね、コリン・トレボロウさんがやる予定だったのが降板して、J・Jが戻ってきた、という形になっております。, ということで、この『スカイウォーカーの夜明け』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、ここに来て今年最多クラス。やはり『スター・ウォーズ』ですからね、そりゃあそうでしょう。 賛否の比率は、褒めの意見と、ダメという意見と、「悪いところもあるが良いところもあった」という意見がそれぞれがほぼ同数。三つ巴の状態です。, 褒めてる人の主な意見は、「私たちの見たかった『スター・ウォーズ』が帰ってきた!」とか、「アダム・ドライバーやデイジー・リドリーの演技が見事。特にアダム・ドライバーはすべてのシーンが素晴らしかった」とか、「未消化な部分はあるにせよ、前作『最後のジェダイ』の後を引き継いでよく完結させてくれた。J・J・エイブラムス、ありがとう」とお礼を言う意見。出来はともかく、『スター・ウォーズ』サーガが完結したことに感動してる人が多かった、ということでございます。, 一方、否定的な意見は、「後付けの設定が多すぎる。テンポもひどい。単純に一映画としてとして面白くない」とか「前作で与えられた重要な設定がいくつかひっくり返されていてびっくり。結局シークエル、今回の三部作全体が失敗だったのでは?」「これならまだ新しいことに挑戦しようとした前作の方がましだった」などなどございました。, というところで代表的なところをご紹介しましょう。褒めている方。「ジャイアントあつひこ」さん。「『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』、東宝シネマズ日本橋のほぼ最速回で見てきました。端的に言って『J・J・エイブラムスさん、ありがとうございました!』と伝えたいです。エピソード8の、何も話が進まず、本筋と関係ない話を撒き散らかした状態からよくぞここまで持ち直してくれました。, 今、巷では『過去作ファンへのサービスばっかりだ』とか『話に意外性がない』という話になってるみたいですが、僕からしてみればあのエピソード8の状態から納得のいく形で物語を完結させてくれたことは偉業だと思うし、『スター・ウォーズ』サーガにちゃんとフォースを宿してくれたJ・Jに感謝の気持ちでいっぱいです」と。まあ、いろいろと書いていただいて。, 「……あと本作で絶対に言及したいのがアダム・ドライバーです。マジで彼は何者ですか? すごすぎます。僕のエピソード9の振り返りたい名シーン全てがもうアダム・ドライバーの場面ばかりです。この映画はアダム・ドライバーありきの映画だったようにも感じます。正直、巻き返しかのように話がガンガン進んでいく感じや、都合のいいフォースやサプライズもいっぱい出てきますが、それがエピソード9の祝祭感を演出する作りになっていて、これでこそ大団円だと思えるとても幸福度の高い1本でした。3人の青春群像劇、これにて完結!」ということでございます。, 一方、ダメだったという方。「皇帝ハギパティーン」さん。「私は平成3年生まれ、『ファントム・メナス』どんぴしゃ世代です」と。で、いろいろ書いていただいて。「20世紀フォックス、そしてルーカスを引っ剥がしててまで、半ば強引に制作されたこの新『スター・ウォーズ』シリーズ、はっきり言って嫌いです。というより今作『スカイウォーカーの夜明け』を経て、エピソード7から9がまるっと嫌いになってしまいました。, エピソード7は、ファン感謝祭。これからの『スター・ウォーズ』の門出を祝うお祭りでした。そして続編のエピソード8。退屈な映画ではありましたが、ファンに媚びるのは潔く止め、新しいことをやってやるという心意気はありました。しかし今作はどうでしょうか? エピソード8の悪評を受け、再び媚びはじめてどっち付かず。シリーズ全体が統一性のない、ものすごくいびつな形になってしまった印象が拭えません。こんな中途半端でダサい作品が『スター・ウォーズ』の正史(カノン)になることが悔しくて、エンドロールを見ている間、悲しくて涙が出てきました」という。, 「……今作最大の問題はシンプルに映画としてつまらないこと。全体的に話の進むテンポが速く、内容はおろか感情がついていかない。乗れない。途中でどうでもよくなる。こんなどうでもいい『スター・ウォーズ』は初めて。何か見つけたら次の場所へ。何か見つけたら次の場所へ。まるでテレビゲームのような単調なストーリー展開にも飽き飽きしてしまった。最後の最後までグッと来ない。すべてが記号でしかない」ということで。「……キャスリーン・ケネディ、俺をあんたを許さない!」と。要するにルーカスから製作のバトンを渡された、一応最高責任者、シュプリームリーダー(Supreme Leader)こと(笑)キャスリーン・ケネディさんにちょっと恨み言、というメールでございました。, さあ、ということで私も『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』、TOHOシネマズ六本木と、バルト9で2回、これ、ちょっとすいません、吹き替えでは見られておりませんが、見てまいりました。ということで、位置付けはもう省きましょうかね。今日、ちなみに。決定的なネタバレみたいなことはしないつもりですけども、もちろん内容にはいろいろ触れますし、もちろん私のテンションそのものが一種のネタバレだということもあるかもしれませんから、情報を入れたくない方はね、もうぜひぜひね、30分後にお会いしましょう、ということで結構でございます。あとは見た後に聞いていただくとかね。, はい。ということで、ディズニー体制下でのシークエル、三部作完結編にして、九部作の締めくくり、という位置づけとされている本作。ご存知の通り『スター・ウォーズ』というのは、既にまあ長い歴史を持つ、非常に広い世界観を持つシリーズになっているので、人それぞれ、どの作品からどのようにして『スター・ウォーズ』に触れてきたか、などによって、その『スター・ウォーズ』観、当然その作品評価も、大きく異なってくるわけですね。特に、賛否が激しく分かれた、問題作と言っていいでしょう。前作にあたるエピソード8『最後のジェダイ』以降は、『スター・ウォーズ』ファンを自認している人たちの中でも、小さくない分断、断絶が生じていて……というのが現状だと思います。, なぜそうなってしまったかと言えば、まあいろいろあるけども、大きく言えばやっぱりそれはひとえに、創造主たるジョージ・ルーカスの手をシリーズが離れたことで、『スター・ウォーズ』というシリーズの正統性を担保してきた「軸」が、一旦なくなったわけですよね。で、その意味ではだから、個々の作品に、たとえばそのプリクエル(Prequel)にファンが文句を言うとしても、構図としてはまだシンプルだったんですよ。「ジョージ・ルーカスさん、ちょっとちょっと!」みたいな感じで、まだシンプルだったんですけど。その文句を言う「軸」すらなくなっちゃった、という状態。, で、そのルーカスから製作のバトンを渡されたはずの、そのキャスリーン・ケネディさん。先ほどのメールにもありましたけど、どうも仕切りきれていない、というかですね、実はその、確固たる全体的なビジョンや計画がないままここまで来ちゃってるんじゃないか、とすら見えるような感じになっている、ってことですね。少なくともシークエル、長編の三部作に関しては、という感じですね。まあ時に本当に、ブレブレのグダグダになってしまっていると。, もちろんでもね、たとえば、早くも非常に評判の高いテレビシリーズ『マンダロリアン』とか、あとはもちろん『ローグ・ワン』とか『ハン・ソロ』とかも入れてもいいですけど、そういうスピンオフ作品だったら、いろいろとたくさん作る中で、玉石混交いろいろとある中で、たとえばそれこそ『マンダロリアン』みたいに、文句なしにすごくいいものも中からは出てきたりもする、という感じで、ディズニー傘下で『スター・ウォーズ』世界が拡張していくこと自体が、一概に悪いとは言い切れないところもあるんだけど。, ともあれ、問題はやっぱり、肝心要のメインストーリー。やっぱりルーカスの手を離れて軸が一旦なくなったところで、キャスリーン・ケネディさんもなんか、軸にあんまりなってくれていない。なんなら、全体のプランを立てないまま進めちゃっているようにも見える、という状態。これは非常にマズいですよね。という中での本作、ということですね。まあ、言っちゃえば、エピソード7もエピソード8もそうなんですけども、「次作に投げっぱなし」を繰り返してきたわけですよ、このシークエルというのは。さあ、それにどう落とし前をつけるのか? お手並み拝見、というのが今回のエピソード9、ここまでの前提なわけですね。, で、ですね、あまりにもいろんな側面、見方ができますし、僕自身も正直、いろんな気持ちが錯綜していて、瞬間瞬間でそれは変わります。「『スター・ウォーズ』シリーズ完結編」っていう風にさっき、(TBSアナウンサーの)篠原梨菜さんが読んだじゃないですか。その瞬間にちょっと涙が出そうになるぐらい、そういう気持ちもあるんですよ。なので、ちょっと整理する意味でも、先に僕、大枠での結論から言ってしまいます。はい。それは……決して嫌いにはなれないですよ。, 僕のこのね、最初見た時の、終わった後の印象ね……いろいろ強引にドカ盛りして、もう汗びっしょりで幕を引いている感じ。「はいもうこれで! これで、こうやってもう、これでこれでこれで、はいっ、わー終わったー! ほらどうですか? ほらはーい、終わったーっ!」みたいな感じ。そうやって幕を引いてみせた感じは、嫌いにはなれない。めちゃめちゃ頑張ったんだとは思うんですよ。嫌いではないんです。, でもそれ、よく考えたら……自分たちで蒔いた種だろ!っていうところもあって。つまり、やっぱり結局ですね、そもそも実は一旦、完全に終わってる話なわけですよね。エピソード6『ジェダイの帰還』で完全に終わった話を、無理やり続けただけの話に、結局はなっちゃった、っていうことなんですよね。そしてそのことで、過去シリーズの物語の重みを、相対的に、ものすごく軽いものにしてしまった。でもそれは実は、ディズニー体制的には都合のいいことかもしれない、っていうところもあったりして。, とにかくそういうところにしか、結局着地していかなかった。まあ今のところ僕としては、そう結論せざるをえない、という状態なんですね。もうちょっと具体的に言いますと、エピソード7『フォースの覚醒』は、公開当時から僕も評で言いましたけど、「新しい、魅力的な主人公たちの創造」っていう、これはなかなか難しいことを達成しているわけです。素晴らしいキャスティング、実力もすごくある演者たちの力もあって、見事に成し遂げていた。それだけで、実は相当偉い一作だと思うんですよ。新しいキャラクターが……しかも旧三部作の、たとえば「これはルークだね」「これはハン・ソロだね」っていう置き換えがあんまりできない感じの主要キャラクター、という感じ。, だから僕は、評の中でも言いましたけど、「これからは彼らの物語をこそ見たいと思わせてくれた」と。だからもう十分ハードルはクリアしたよ、ありがとう、なんならオヤジ接待(旧三部作ファンへの目配せ)のところは余計だよ、もういいから! ぐらいの感じでいたわけですね。ただ同時に、そのエピソード7は、さまざまな謎要素を、ちりばめるだけてちりばめて、次作以降に丸投げした、ある種大変にズルい、まあ「風呂敷を広げるのは上手いけど……」っていう、J・J・エイブラムスさんらしい作品でもありまして。, 特にやっぱり、最大の問題はこれですね。「敵、どうすんだ?」っていう。「敵」っていうのはつまり、ラスボス、真の絶対的な悪、的な存在ですね。エピソード6でですね、そのアナキンが命を賭して、あるいはルークが人生をかけて取り戻したはずのフォースのバランス……まあ「宇宙の平和」と思ってください。で、それに対して、また新たな敵を出す、っていうのがね、下手なことすると、そこまでの話が台無しになる。つまり「アナキンは無駄死にだし、ルークの努力も意味がありませんでした」っていうことになってしまいかねないし。, かといって、ただの「相対的に悪い」キャラクターなんか出しても、スケールダウンじゃないですか、そんなのは。あのエピソード6までのシスの皇帝に対しては。で、カイロ・レンがいるじゃないかっていうけども、カイロ・レンことベン・ソロさんは、もちろん明らかに、いずれは何らかの形で改心するであろうキャラクター造型なわけだから、これがラスボスということははありえない、という感じなので。『スター・ウォーズ』シリーズをエピソード6から受けるにあたって、一番の難題、「敵、どうすんだ問題」というのがあったわけですよ。, で、エピソード7を見た時点でもう、「うーん、これ、どうするんだろうな? まだ作品内で答えが出てないぞ」と思ったわけですよね。エピソード7では、そこに関してぼやかしたまま。エピソード8『最後のジェダイ』でも、少なくともあのスノークっていうのを一作目よりは随分ちっぽけな存在に見せて、ラスボスではないという……まあエピソード7から予見はできた範囲のこと、「シスじゃない」って言っていたわけだから、予見できていた範囲のことしか明かされなかった。, それが、今回のエピソード9『スカイウォーカーの夜明け』ではなんと、恒例のオープニングロール、最初でこれまでの経緯みたいなのを説明するオープニングロール、その一段落目で、いきなり答えを出してくる!ということですね。で、私は「ドジャーン! ダララララー♪ テレーレーレレーレー♪」って流れてきた一段落を見た瞬間に……もう、ズコーッ!って、今年一番ずっこけましたね。まあ、もちろん予告編でも、思いっきり匂わせていたっちゃあ匂わせてましたけども。, 「ああ、本当にこうなんだ……」っていう。引っ張りに引っ張った結果、結局こいつかーい! ラスボス、こいつかーい!っていう。なんなら作り手側もある種、いきなり最初に言っちゃうことで、開き直って見える感じですよね。「あーそうですよ結局やっぱりラスボスは、はーい! この人ですが何か? これしか結局思いつきませんでしたーっ! すみませんっしたーっ! でも、こうしないと話、進められないし、終わらせられないんで! まあそういうことで、話、進めていいっすか! 映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる—— その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン! 毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送でお送りしているTBSラジオ AM954+ FM90.5『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。      その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」, 毎週土曜日、夜10時から2時間の生放送でお送りしているTBSラジオ AM954+ FM90.5『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』。, 番組の名物コーナー、ライムスター宇多丸による渾身の映画評「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(毎週22:25頃から)。, 毎週、「ムービーガチャマシン」(カプセルトイのガチャ)の中に入った新作映画カプセルを、“シネマンディアス宇多丸”がランダムにセレクト。映画館で自腹を切ってウォッチした“監視結果”を、約20分に渡って評論する映画時評コーナーです。こちらではその全貌を文字起こしを掲載しております。, 今週評論した映画は、クエンティン・タランティーノ監督の新作『ヘイトフル・エイト』(日本公開2016年2月27日)です。, 宇多丸: ライムスター宇多丸のムービーウォッチメン Part34 700 : 名無シネマさん :2014/06/08(日) 07:42:02.44 ID:G/rTF/1F 番組中途半端になったけど これが流れだす。そして、画面はですね、通常のシネマスコープよりもさらに横長。縦1に対して横2.76という超ワイド画面。これに流れ出して。で、雪にまみれたキリスト像のアップですね。ちょっと『最前線物語』あたりのオープニングを彷彿とさせるようなオープニング。アップからゆっくりゆっくり、カメラが本当にゆーっくりゆっくり動いて。遠くから、6頭立ての駅馬車。6頭立てってことは普通に僕らが考える馬車よりも、馬が長く連なっているわけですよね。, これも当然、ワイド画面が映える、この6頭立ての馬が向こうから、遠くの方からゆっくりゆっくりカメラが動いて。向こうから撮ってくるこのファーストショットからして、作品全体のリズム、語り口のテンポをもうすでに提示しているっていうか。要はね、「さあ、これからとっても贅沢な時間が始まりますよ。せっかく映画を見るんですから。せっかく映画館に来て、映画という贅沢な時間をすごすんですから、まあ、せかせか先を急がず、腰を据えてゆっくり……順に話していきますからね。ゆっくり楽しんでね。それが70ミリで撮ったこういう本物の映画というものの楽しみ方ですよ」と宣言するようなファーストショットということですね。, で、実際にこの映画、オープニングテーマから始まって最初の1時間たっぷりかけてですね——これはこの間、高橋ヨシキさんもこんなことを言ってましたけども——とにかく、本題の前のセッティングのために1時間たっぷりかけるわけですね。具体的には、いかにもタランティーノらしいクドい会話劇が一見ダラダラと続くんですけど。ただですね、そのタランティーノのトレードマークである延々続く駄話タイムっていうのは、これ、はっきり実はフィルモグラフィー上、ちょっとネクストレベルに行った。いまはもうとっくにネクストレベルに入っていて。, 要は、『イングロリアス・バスターズ』以降ははっきりと、ただ駄話タイムっていうのが独立してあるのがタランティーノ作品だったんだけど、ドラマ上のサスペンス、緊張感と駄話が実は結構直接シンクロする作りに、もうはっきりとシフトしてるんですよね。『イングロリアス・バスターズ』。そして前作『ジャンゴ』。そして今回の『ヘイトフル・エイト』。つまり、エンターテイメントとしてはよりわかりやすくなってきている。ブラッシュアップされているという風に言えるんですけど。今回も、『イングロリアス・バスターズ』以降のタランティーノ会話劇の延長線上。というか、進化系。たしかに集大成というのも僕はわかる気がします。, というのは、序盤から延々と続く、一見駄話。でも、その会話の1個1個のパーツは実はほとんど全て、後でほぼ全て意味を持って回収されるんですよ。タランティーノ脚本史上でも、珍しいほどものすごい無駄がないです。実は、会話の全てが。「あ、すごい! いわゆる良く出来た脚本じゃん!」みたいな感じになっていると思います。そしてもちろん、たっぷり時間をかけた贅沢なセッティングという。これが完了してからはですね、もう圧力釜の中身のようにってことだと思う。みるみる会話劇の……映画の半分は1時間30分なわけですけど、1時間かけて、さあ、セッティング完了。そっから30分でグーッと会話の圧が高まっていく。危険な領域に高まっていく。, で、高まっていくに従って、カメラのサイズもそれこそセルジオ・レオーネ風のですね、顔のどアップとかでどんどんどんどん圧迫感が高まっていく。で、グーッと高まったところで、バーン!(と、テーブルを叩く) 一瞬で恐るべき惨劇が起こるという。これはもう、タランティーノ十八番の語り口が堪能できるんじゃないでしょうかね。特に今回の『ヘイトフル・エイト』は、たぶん本当に『パルプ・フィクション』のジュールス役以来と言ってもいいぐらいですね、サミュエル・L・ジャクソン・オンステージですね。今回はね。もう、サミュエル・L・ジャクソンがすごい。, まずね、北軍(ヤンキー)の黄色とネイビーのコートにマフラーというあの衣装が異様にかっこいい。衣装をやっているコートニー・ホフマンさん、タランティーノのいまの恋人らしいですけど。ねえ。もう登場した瞬間からかっこいいんですけど。たとえばこのサミュエル・L・ジャクソン演じるウォーレン少佐がですね、相手を追い詰める時に、たとえ話を出す。もう、たとえ話を出すのがすごいタランティーノ話術なんだけど。タランティーノ、たとえ話を出して相手を追い詰める時に、いちいち、何個も同じたとえを並べるというこのテクニック。, 「おふくろのシチューの味……それはいつも同じだった。チャーリーの作ってくれたシチューの味……それもいつも同じだった。そして今日食ったミニーのこのシチューも……同じ味だ!」って。この3つも同じ例を重ねるというこのクドさ。クドさゆえの圧の高まり。これこそがタランティーノ的。そしてサミュエル・L・ジャクソン的圧迫話術。まさに圧迫話術のキモ。基本的にタランティーノ作品は話術がある奴、つまり、話でその場を制することができた奴が、少なくともその場ではいちばん強いという構造を常に持っているため、いかにもタランティーノ的なカタルシスじゃないでしょうかね。, 「圧の高まり」という意味では、対照的に、セリフじゃなくて、事前にこれから何か大変なことが起こるよと一旦示しておいて、延々それを引き延ばす、文字通りのサスペンス。そして何かことが起こる瞬間まで圧が高まっていくという中盤のある展開。ちょうどですね、エンリオ・モリコーネの『遊星からの物体X』のサントラより『Bestiality(獣性)』。これが流れだす。ラスト近くにももう1回、流れるんだけど、ここなんか、もう最高ですね! こう、舞台上は何も起こってないように見えるんだけど、「キョロキョロ……まだ起こらない。キョロキョロ……まだ起こらない」みたいなね。もう、これを聞くだけでわくわくしてきますけども。, というのも、この場面の手前のところでサスペンスのネタ振りのところ。画面の左奥で、奥の方で進行している事態と、画面右側手前の方でギターを弾き語りしている、本作最大のトリックスターと言っていいジェニファー・ジェイソン・リーがですね、この歌の内容も物語の進行とレイヤードされてますから。画面の奥の方と手前の方。そしてこの歌っている内容とレイヤーが3つ重なっている。で、その奥の方と手前の方が交互にピントを合わせてっていう。要は、超ワイド画面ならではの情報量と見せ方っていうのをいちばんわかりやすくダイナミックに見せる。, 要は、「室内劇、会話劇なのに70ミリ。スペクタクルなのに、なんで室内劇なんですか?」っていう疑問に対してタランティーノは、「いや、この空間の中で十分、70ミリ的スペクタクルは見せられるぜ」っていうね、そういう勝算があったと思うんですね。ウルトラ・パナビジョン70で撮影するという大挑戦に当って、たぶんタランティーノはCGとか絶対に使いたくなかったでしょうから。現実的に、自分がコントロールできる範囲に舞台を限定するという、そういう計算もあった上での、密室だけど70ミリワイドっていうのだと思うんだけど。, で、実際にこの映画は、まさに日本が世界に誇る美術監督、種田陽平によるミニーの店のセットの中だけで、非常に計算された、そして大胆な画面構成と演出の積み重ねで、ちゃんと豊かな、十分豊かなひとつの世界っていうのを浮き上がらせている。それぞれの登場人物が距離を、距離感を制したものが勝つというゲームを見事に演出している。で、それはもちろん、いわゆる2つのアメリカというものの縮図にも見える。そういうメタファー的な作りにもなっているんだけど。同じ人種差別問題に触れた西部劇としてもですね、前作の『ジャンゴ』。要するに、『イングロリアス・バスターズ』に続く人類史の暗部にジャンル映画的な落とし前をつける『ジャンゴ』。, だから『ジャンゴ』はタランティーノ作品としては例外的に、明快な主人公、ヒーローが設定されていましたけど。今回はちょっとモードが違う。たとえば、サミュエル・L・ジャクソンのウォーレン少佐はですね、「レイシストに逆襲だ!」という『ジャンゴ』的なカタルシスをもたらしてもいいような——元は『ジャンゴ』で描いていたらしいんだ。このキャラクターは——なんだけど、要は、「逆襲って言うにはちょっと引くんですけど……」っていう、ドン引き必至の冷酷さを発揮するし。まあ、我々が画面上で見ているあの光景が本当に起こったかどうかはわからないという、そこのグレーさも残しているわけだけど。で、あと、北軍からも追われる身であるという設定もあって。, つまり、善悪は敢えてグレーにしているし。他のキャラクターも、要するに善悪は敢えてグレーになるような描き方をしている。レイシスト丸出しな南軍チームだって、ちょっとグレーな描き方になっている。何より、お話の始まりの時点と終わりの時点で最もはっきり成長する、これはネタバレしないように「あいつ」って言っておきますけども。彼の成長譚として見ると、非常に感動的だったりもする。ということで、とにかく一方的に善が悪を断罪するタイプの話では今回はなくて。立場の違いから生じるヘイト(憎しみ)同士のぶつかり合いによる破滅。, それでも、立場の違いを乗り越える可能性はゼロではないという、ギリギリのかすかな希望。これを示す、非常にアダルトな今回はメッセージの作品だと思います。そしてそのメッセージの幅もまた豊かさのうちですね。ということで、時間の使い方、画面の使い方、メッセージの込め方、幅。全てが贅沢さ、豊かさ。そういうところを味わうべき作品ではないでしょうか。結果そして、誰も見たことのないタランティーノ映画にちゃんとなっているということで、偉い! ぜひ、劇場で、まあデジタル版でも十分です。見てください!, 以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。, お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。, 宇多丸、映画『ヘイトフル・エイト』を語る! by「週刊映画時評ムービーウォッチメン」2016年3月26日放送. お問い合わせ . 株式会社TBSラジオのプレスリリース 12月25日(金)今年最後の金曜日は、年末恒例「ライムスター宇多丸のシネ …      映画ウォッチ超人、シネマンディアス宇多丸がいま立ち上がる——      一体、誰が映画を見張るのか? ?っていう。出演はサミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル、ティム・ロスなど。ジェニファー・ジェイソン・リーがアカデミー賞助演女優賞ノミネート。70ミリフィルムによる撮影なども話題になったということで。65ミリで撮って、70ミリで……という、特殊な方式でね、やっているんですけどもね。, と、いうことで『ヘイトフル・エイト』。まあ、タランティーノの新作を見に行かないってことがあるんでしょうかね?ってことで、リスナーのみなさんね、当然見に行っているということで。この映画を見たという方の感想をメールなどで監視報告いただいております。『ヘイトフル・エイト』、メールの量は……普通! ええーっ? まあ、公開規模がね、やっぱり回しが長いのもあってあんまりないのもあるけど。公開規模があんまり大きくなくてね。ええーっ? 賛否で言うと、賛が6割。「楽しかったけど、ちょっと長かった」「過去作と比べると物足りない」「テンポが良くない」などの意見が4割。, 全面的に否定する意見はごくわずかしかなかった。まあ、タランティーノの映画だから、それはもうタランティーノ的なるものがどの程度出てくるかってね、覚悟して行くわけですからね。褒めるポイントとしては、「映像がすごい。大迫力」「タランティーノの集大成。長い会話もやはり楽しい」「最後に伝わってくるメッセージにタランティーノの成熟を見た」などなどでございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。, ……はい。ということで、『ヘイトフル・エイト』。私も、後ほど言いますが、日本では本作をベストな状態で見ることができない! それができる映画館が現状、存在しないので。せめて、これだけはちょっとシネコン以前の、大型劇場の雰囲気を残している劇場で、都内上映館の中でかろうじて残しているところで見たいということで。要は、傾斜が斜めに下がっていくのじゃなくて、比較的平らな感じの席で、見上げる感じの大きいスクリーンのところで見たい、と思いまして。丸の内ピカデリーで3回見てまいりましたってことでございます。, しかもですね、3回とも、あんまり入ってなかったですね。正直ね。非常に私は残念でございます。嘆かわしい事態だと思っております。と、言うのもですね、タランティーノ。作品を取り上げるたびに僕、言っていることかもしれませんけども。自らですね、こんなことを言ってますよ。「オレは常にヒップホップの精神にのっとって映画を作っているんだ」って、インタビューなどで公言しているぐらいです。サンプリング世代。ヒップホップ世代的な、いわゆるポストモダン的なってことですかね。クリエイターの代表格なのは間違いないんですけど。まあ、「ストリート版ゴダール」なんて言い方もしてますけど。私ね。, まあ、凡百の、はっきり言わせてもらえば見下げ果てたタランティーノフォロワーとは、当たり前のことながら根本の格が違っておりましてですね。そのサンプリングというのがですね、小手先のギミック的な目配せとか、そういうレベルのことがやりたい人じゃないわけです。もちろん、たとえば元ネタを指摘したり、あとは「ここがナントカなんじゃないの! 宇多丸さんがtbsラジオ『タマフル』の映画評論コーナー ムービーウォッチメンで2015年に扱った映画51作品の中からランキングを作成。 ベスト10とワースト1を発表していました。 今夜は「ライムスター宇多丸のシネマランキング2015」。 ?」みたいな。そういう居直りのような……まあ、ある意味「あっ、思い切りがいい……大変に思い切りがよろしい!」っていう感じもしましたね(笑)。, で、あのラスボス、一応伏せておきますけども、ラスボスの◯◯が率いる、ファースト・オーダーに対するもっとすげえ軍団! 「◯◯オーダー」!っていう。こんなバカなネーミング……って、もう震えてきましたけどね(笑)。そんな感じで……もちろん今回のような「◯◯は、実は△△していた」っていう展開は、過去にもたとえばコミックの『ダーク・エンパイア』とか、そういうスピンオフ作品、『スター・ウォーズ』の拡張世界作品では、全然あったものなんですけど。, ただ、やっぱり本編の長編作品でこれをやられちゃうとですね、さっき言ったようにまず、そのエピソード6までの話が、相対的にすごい、ひどく軽いものになってしまう。もっと言えば台無しになってしまう。僕はやっぱりですね……僕個人ですよ? どういう『スター・ウォーズ』ファンかっていうと、とにかく徹底的なルーク派なんですよ。圧倒的にルーク・スカイウォーカーに思い入れて見てる人なので。個人的にはちょっと、本当に許せない! ぐらいの感じなんです。本当はね。ただですね、これね、さっきも言ったように、ディズニー的には、この相対的に軽くしちゃうっていうのは、ひょっとしたら都合がいいことかもしれない。, というのは、これは高橋ヨシキさんとやり取りしていて教えてもらって、「ああっ!」ってなったことなんですけど、『スター・ウォーズ』の年表というか、『スター・ウォーズ』の年号の数え方があって。今まではヤヴィンの戦い、要するにエピソード4のデス・スター攻略、あの事件を基準にして「Before Battle of Yavin(BBY)/After Battle of Yavin(ABY)」っていう風にやっていたのが、今回のディズニーの公式のプログラムでは、しれっと年号の数え方が、「Starkiller Incident」っていう。つまりエピソード7から数えるっていう、「BSI(Before Starkiller Incident)/ASI (After Starkiller Incident)」っていういう新しい年号の数え方に、しれっと変えてるんですよ。, ディズニーがだから、そのシークエル中心の歴史観に、しれっと歴史改変してるんですよ。だから「ああ、旧作の扱いを軽くするのは意図的でもあるんだ……また腹が立つわ!」っていう感じもするっていうね。, でね、まあいいよ。それはじゃあ、それはこれから話を続けるんで、必要だったとしよう。5億歩譲る。5億歩譲って、◯◯がラスボスで行くにしても……だったらもっと手前から、そこに向けた話づくりをちゃんとしようか?っていう。たとえばですね、主人公のレイの出自に関する話。真実を知ってガーン!とかは、本来、三部作なら真ん中の二作目、エピソード8とか、もうちょっと手前の方で済ませておくべきところですよね。だからこそ、その葛藤の乗り越えが完結編になり得るわけで。, この『スカイウォーカーの夜明け』だとその話、レイの出自云々とか、「お前は◯◯だ!」って知らされてガーン!→それを乗り越えます、っていうのが、一作の中で、ものすごい短いタイムスパンの中で、ネタの振りと回収を大慌てでやってるので、後出し感が半端ない。マッチポンプ感が。事程左様にこのシークエル、今回の新三部作、始める時点で、まさかとは思うけど、「大筋でこうしましょう」ぐらいすらも考えていなかったのか?としか見えないぐらい、三部作と言いながら……これはエピソード8支持派だろうが何だろうが事実として、それぞれの内容的連携が、明らかに全くと言っていいほど取れてない。だからこんな完成度の低い三部作になってしまったわけですよね。, だから、エピソード8で何かやるにしたって、そこはコンセンサスを取ってやっておけよ、っていうことじゃないですか。で、やるならやり切れよ!っていうことじゃないですか。それゆえ、一作内で一気に、全て幕引きをしなければならないこのエピソード9……もちろんそのエピソード8が話の進み的にものすごく停滞した、足踏みしてた作品だったってこともあるけど、でも同時に、エピソード7の時点から持ち越しのものでもあるわけで。要するに、ある種自業自得なんですよ。, この『スカイウォーカーの夜明け』は、エピソード8もそういうところがあったけども、「えっ、なにその話? 初めて出てきたんだけど?」的なことが、持ち出されては回収、というマッチポンプの連発になっていて。たとえばフォースの便利機能の大幅追加(笑)とかも相まって……「こんなこともできます、こんなこともできます」がどんどんどんどん追加されるのとも相まって、いくらなんでもご都合主義的すぎなところが、どんどん目立ってきちゃって。元々あったご都合主義が、どんどんひどいことになっちゃった。, 特に途中、ラスボス◯◯がいると思われる惑星エクセゴルというのを探す、ためにシス・ウェイファインダーというのを探す、ためにシスの短剣を探す、ために△△に行って……って、ああ、まどろっこしいな! その宝探しの段取りが、端的にこれ、宝探し活劇として単調でつまんない。どうせ宝探しやるなら、それ自体が面白くしてくれればいいのに、すごく単調でつまらないし、展開もグダグダすぎて。, たとえば、カイロ・レンを迎え撃つために外にで出ていったレイを探しに行った、様子を見に行ったチューバッカさんが、えっ?っていうぐらい迂闊に、あっさりと捕虜になって。しかもその彼が運ばれていく宇宙船をですね、ゲーム『フォース・アンリーシュド』でそういう場面が出てきましたけど、地上からのフォース引っ張り……からの(フォース電撃)ビリビリで、「あっ、壊しちゃった!(ガーン!)」って。でも、「実はこうでした!」とか「間違えてました!」とか(後からすぐ安易なオチがつく)。, 「C-3POのメモリーを消さなきゃならない。ああ、悲しい!」って思ったら、わりとすぐ「こうでした!」みたいなのとか。とにかく、今の時間は何だったんだ?っていうグダグダな展開が続き……みたいな感じですね。あえて言えば、その惑星キジーミでね、あれはちょっとクリスタル・ナハト(「水晶の夜」事件)を思わせる、雪が降る中でのファースト・オーダー軍の弾圧のシーンとか、あとポー・ダメロンの元カノっぽいあのゾーリさんとか、キャラクターとしては魅力的だと思うし。ただ、ポーに、今更のようにハン・ソロに寄せた設定を足してくるのとか、何だかなー、って思ったりするんだけども。まあ、いいや。それはね。, とにかくシークエルの三部作、これはそのポー・ダメロンに関してもそうですけど、シークエル三部作を通して僕が一番残念に思ってる、もったいないなと思うのは、エピソード7でせっかくあれだけ魅力的に立てた新しい主人公たちのキャラクター、演者のアンサンブルの魅力を、結局その後にあまり活かしきれなかったということ。これが一番もったいない。今回改めて、たとえば序盤でレイとフィンとポーの3人のわちゃわちゃ会話みたいなのをやってみせてるんだけど……エピソード8でそういう彼らの絆の積み重ねみたいなのが全く描かれていないので、今更なにを急にやっているんですか? お前ら、そんな仲が良かったっけ? みたいな感じが否めないんですよね。もったいない。, やっぱり後出し感、というね。で、なぜ彼らを活かしきれなかったのかというと、これはいろいろな原因があるにせよ、最大の要因はやはりですね、旧シリーズの磁場に引っ張られすぎてしまったから、ということですよね。まあエピソード7のその旧シリーズの磁場、オマージュみたいなのは、新シリーズへのスムーズな移行のために必要とされた、ある種の形式、必要悪としての形式、というところもあったと思うんですけど。, たとえばね、みんな「新しいことをやった」って言っているエピソード8も、僕からすると、ひたすら「旧シリーズに対する逆張り」っていう、つまり旧シリーズへのいびつなカウンター意識が強いっていうことだから、それで要するに旧シリーズとの……つまり、それ単体で成り立つ新しい『スター・ウォーズ』の可能性をエピソード8が示したわけではない、と僕は思っているので。むしろ旧シリーズを意識しすぎだって!っていうぐらいの感じだと思ったんですよね。カウンター、逆張り、逆張りなので。, 一番象徴的なのは音楽の使い方ですね。エピソード7では、旧シリーズのいわゆるライトモチーフ使いっていうのは、非常に限定的なんです。最後の最後、ここぞっていうところでジェダイのテーマを流す、っていうところに抑えている。あくまでも新キャラクターのライトモチーフを中心に、「スカベンジャーのテーマ」とかを中心に構成してたのに対して、エピソード8と9は、ほぼダダ漏れ。今回は特に、たとえばXウィングを引き上げるところとかもう、エピソード5まんま風の場面にして、それと同じ音楽を流すという。, ちなみにですね、ジェダイが霊体になってもね……死んだ後に、霊体っていうあの透明な感じになって。霊体になっても、あんな現実世界に力を及ぼすフォースが使えるなら、あのー、ジェダイのパイセン方……普通に加勢をせんかい!(笑) 普通に力を貸さんかい! そんなんだったら! とにかく結局、ルーカスの手を離れた分、余計に『スター・ウォーズ』としての正統性の担保が必要になった……と作り手たちが過剰に考えた結果、旧シリーズの呪縛、磁力がむしろ強くなってしまった、という風にシークエル、結果的になってしまったな、という風に思います。, 特に今回は、エピソード8での逆張りのさらにカウンターということで、後出しの保守化、というぐらいの感じが増えちゃってて。本当にそういうことになっちゃってる。その極めつけがやっぱり、「ラスボスが◯◯でした」みたいな。で、そのわりに、せっかくナイン・ナンがいてランド・カルリジアンがいるのに、そこの再会とかは描かないのか、とかあったりするんですけども。まあいいや。で、結果とにかく旧シリーズ、話的に、相対的に軽くなった。一方で今回のシークエルも、独自性があまり打ち出せずに終わってしまって、誰も得しないことになってしまった、というのがあると思います。, ■支持していたエピソード7を遡って下方修正するしかない、残念な三部作になってしまった, ただもちろん、新しいそのキャラクターたち、演者たちの魅力が、演技力も含めて素晴らしいというのはもちろん、今回のだってそうなんです。特にやっぱり、皆さんおっしゃる通り、アダム・ドライバー。もちろん役柄上、最も複雑かつ劇的な変化を重ねていく美味しいキャラクターなのもあるけど、とにかくずば抜けて光ってるし。何なら今回のエピソード9のカイロ・レン、ベン・ソロさんのキャラクター的な大きな展開、変化も、彼の演技力あってこそ……展開としてはある程度読める展開だけど、陳腐に見えないで、ちゃんと感動的なものに見えるのはアダム・ドライバー力、ということだと思います。, 前半と終盤、同じ人なのに、全く違う人にちゃんと見えますよね。あれは本当に素晴らしいことだと思います。とか、いろいろと……まあデイジー・リドリーも、何て言うか、シリーズ史上こんだけ、全てを背負わされる役で。はっきりってむちゃくちゃじゃないですか。でも、全てを背負った人物、っていうのがある程度、説得力があるように見える、「主役」をやり切った、ということで。他の皆さんもすごくちゃんとやり切ったと思います。もちろん最終決戦ね、あまりにも多勢に無勢で、「ああ、もうダメロン……」からの、ドーン!とか。, あと、クライマックスで、レイとあの人との連携プレー。フォース機能でそんなこともできるのか!っていうのも含めて(笑)、そこもグッと来るし。何箇所か、それは落涙もしましたけども。でも、たとえば「歴代ジェダイが応援してるぜ!」みたいなのも、「お前、エピソード8で、リスペクトゼロだったじゃねえか!」とか……あとは、本来ならもう泣き死にしたっておかしくなかったはずのあのラストも「それ、エピソード8で1回、無駄撃ちしちゃってるし……あと、お前も“あの人”もここ、そんなに縁があったっけ? 結局、この絵面を見せれば自動的に感動すると思ってるんだろ?」みたいな風になって、なんか、醒めてしまう自分がいる。, あと、やっぱりレイとカイロ・レンのあの関係性で、「あの一線」を超えるのは、本当に粋じゃない!とかね。ということで、結論としては、あれだけ支持していたエピソード7を遡って下方修正するしかない、残念な三部作になってしまった。だけでなく、ディズニー体制下での歴史改変によって旧シリーズが軽くなってしまったということで、自分としては非常に残念な結果に終わってしまったなと……あ、時間です。はい、すいません。オモシロイヨ〜 劇場デ観テクダサーイ。, (ガチャ回しパート中略 ~ 来週は、山本匠晃アナウンサーのベストを発表。再来週の課題映画は『家族を想うとき』です), 以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。, お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。, 宇多丸、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を語る!【映画評書き起こし 2019.12.27放送】.